映画『かがみの孤城』公開の前と後(私語り)

はじめに

先の12月23日をもって映画『かがみの孤城』が公開から一年を迎えました。 いちファンとして、この映画が今でも日本のどこかで、または海外のどこかで上映されていることを嬉しく思います。 私自身、映画館に足繁く通って鑑賞してきました(鑑賞記録 )。 本記事ではこの映画の公開の前後での私のことを簡単に書き留めます。

公開前

いきなりネガティブな話になります。 公開前の半年間ほどの私の「現実」は人生の中でも非常に良くないものでした。 社会人として日々働いているわけですが、会社での立ち位置が自分の望みとはかけ離れており、毎日を生きる苦しさや、将来の希望の持てなさを感じていました。 また部署異動等もあり、孤独感のようなものも抱えている状態でした。 会社を休みがちになったり、精神的なところを専門とする医者にかかったりしていました。

ただ、それでも、気分転換のために公開中の映画はたびたび見に行っていました。 『アイの歌声を聴かせて』という作品に魅せられてから映画を見る習慣ができていたからです。

かがみの孤城』もそうして鑑賞したうちのひとつです。 公開前はよくあるアニメ映画かなあくらいの感触で、期待値はそれほど高くなく、ある意味では流れ作業的な鑑賞だったかもしれません。 原作が本屋大賞を受賞したことも、監督が原恵一氏であることも、特に意識のうちに入ってはいませんでした。

公開後

公開日の2022年12月23日に見に行きました。 初見の感想として「この作品は好きだな」と。 例えば、人の想いが巡り巡っている部分(アキ⇔こころ)が好きでした。 また、難解な社会問題をテーマにしておきながら、ほのかな希望を感じさせる締めも好きでした。 映画を見た帰りに早速原作を買っていました。

そこからハマるのは早かったです。 その2日後に早速2回目を見に行ったり、原作小説を読み進めてみたり。 原作は本当に良かったです。 まだ読んでいない人は是非読んでほしい。 特に最後のエピローグは、そこら辺の小説の追随を許さない素晴らしいストーリーだと思っています。

そんなこんなで「これは良いものだ!」と確信して、やっとグッズ収集に着手した頃には、すでにグッズが軒並み売り切れてしまっていて、その中でも願いの鍵は本当に無くて、大阪中の映画館を探索した記憶が残っています(そのときは結局入手できなかった)。 年末年始の期間中は頻繁にかがみの孤城を見に映画館へ足を運び、年末年始が終わった後も基本的に休日にはかがみの孤城を見に映画館へ足を運ぶ、そんな生活がしばらく続きました。

これは初めてだったと思いますが、映画の舞台挨拶というやつにも何回か参加してみました。 監督の原恵一氏や原作の辻村深月氏、キャストの皆さんの話を直接聴く経験をしました。 そもそも映画のイベントのためにわざわざ居住の大阪から新幹線に乗って東京まで行くというのも、以前では考えられなかったことです。

結局、この記事の執筆時点で60回鑑賞しました。 これほど多くの回数を鑑賞して面白いと思ったのは、回数を重ねるごとに印象に残るシーンが移り変わっていったことです。 「いつも闘っているでしょう?」のシーン、喜多嶋先生がアキだと示唆されるシーン、みんなの真実がわかるシーン、こころが自身の真実を打ち明けるシーン、ラストの足並みが揃っていくシーン、etc。 ちなみに今は「助けてくれてありがとう」の周辺のシーンになります。 隅から隅まで舐めるように視線を凝らして鑑賞を重ねた結果、それぞれのシーンの解像度が次第に上がっていったことの表れかもしれません。 加えて、原作やら漫画版やら海外版やらにも色々と手を出して、同じ物語に対する多面的な表現を味わった結果、映画で見えている以外からの補完的な効果が効いてきたのかもしれません。

この映画を見て私は心持ちが少し変化したと思います。 この映画は人生の暗黒期に入っていた自分を助けに来てくれたのではないか? この映画自身が劇中の「鏡の城」となって仲間達を繋げてくれるのではないか? 自分はそのような仲間達のために何かできるのではないか? 今は「現実」に100%に生きるのはやめて、適度に力を抜きながらなんとか生きることができている状況です。 「現実」で何かあっても私には「鏡の城」があるので。

現在

今でもかがみの孤城を上映してくれる映画館の情報をキャッチして、可能であれば鑑賞のために奔走しています。 公開から一年を迎えた2023年12月23日からは、名古屋のシネマスコーレで上映ということで、やはりお邪魔した次第でした。 今後もどこかで上映が続いていくことを願っています。

丹波国際映画祭にて