はじめに
今までにいくつかの媒体でかがみの孤城を鑑賞しました。 最近鑑賞したのは米国版映画(Blu-ray)になりますが、その中でのこころの願いごとの表現が気に入ったので、他の媒体と比較して紹介します。
比較
媒体 | 表現 |
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日本版映画 | どうかアキちゃんを助けて下さい。ルール違反をなかったことにしてください。 |
日本版漫画 | どうか、アキを助けてください。アキのルール違反を、なかったことにしてください。 |
日本版小説 | どうか、アキを助けてください。アキのルール違反を、なかったことにしてください。 |
英国版小説 | Please, save Aki. Please forget that she broke the rules.(どうかアキを助けてください。ルール違反を忘れてください。) |
米国版小説 | Please, save Aki. Please forget that she broke the rules.(どうかアキを助けてください。ルール違反を忘れてください。) |
米国版映画 | My wish is for Aki to be saved from her fate. Undo the fact that she broke the rules, please.(わたしの願いは、アキがその運命から救われることです。 彼女のルール違反をなかったことにしてください。) |
所感
米国版映画だけ他とは明らかに表現に違いがあります。
他の媒体では「アキを助けてください」とだけ述べています。 状況を鑑みると「オオカミに食べられたこと」に関して述べているものと受け取れます。
一方で米国版映画では「アキが運命から救われること」を願っています。 これはもちろん「オオカミに食べられたこと」も含んでいるとは思いますが、その先の未来のことへ言及しているようにも聞こえました。 つまり「オオカミに食べられたこと」を単純になかったことにするだけでは、アキが生きていくのは難しかったのではないかということです。 ある意味、他のメンバの「エゴ」でアキを取り戻したとしても、以前と同じようにアキが再び現実に戻ってしまったら、悲劇が繰り返されたかもしれません。
しかし、そのような結果にはなりませんでした。 全員の真実を垣間見ることで、こころは全員の時間がズレていることに気づき、同じ世界に生きていることに気づき、お互いに助け合えることを確信しました。 そしてアキが希望を持って生きているよう、その事実を必死に訴えて、アキを呼び戻すのでした。 こころがアキを救うことができたのは、願いの鍵のおかげというよりも、こころ自身のチカラがあってこそだったのかもしれません。
米国版映画では、上記のことを明確に示してくれていたのかなあと思いました。 もちろん他の媒体においても、このことを暗黙的に読み取ることは十分に可能でしょうけれど。